プラスチック食品容器の歴史

ミロロン

プラスチック食品容器がなかった時代は、下にあるような容器を使っていたんだ。
納豆は平安時代から藁(わら)で包まれていたんだって。
なんと!約1,000年もの間、藁(わら)を使ってたんだね。

経木(きょうぎ)

経木(きょうぎ)

スギやヒノキなどの木の薄皮状のもので近年まで、おにぎりや肉などを包んでいました。
ロウ引き袋

ロウ引き袋

植物の繊維からできている紙自体は水に弱いので表面に蝋を塗って袋として使用していた。揚げ物に使用していました。
竹皮

竹皮(ちくひ)

経木と同じで近年まで天然の竹を使い、その皮を利用して、おにぎりを入れたりしていました。
藁

藁苞(わらつと)

天然のわらを筒状に纏めて、大豆を入れ発酵させて納豆の包装容器として使用していました。

プラスチック食品容器が普及するまでは、ずっと同じ包装形態であり
安価での大量生産が難しい素材を使っていたんだ。
それでは、年代ごとにプラスチック容器の歴史を見てみよう!

 

1950年代・1960年代1970年代
1980年代1990年代~現在
キロロン

1950年代・1960年代

プラスチック食品容器の誕生

プラスチック食品容器の誕生

東京・青山に日本で初めてのセルフサービス方式のお店である紀ノ国屋1号店が誕生し、1960年頃に肉や魚のトレー、非耐熱弁当容器、透明容器などが誕生しました。

 

セルフサービスの小売業のできごと

1953年 東京・青山に日本で初めてのセルフサービス方式のお店である紀ノ国屋1号店が誕生
1957年 ダイエー誕生
1958年 イトーヨーカ堂誕生
1960年代 高度経済成長期に入り、大量生産・大量消費の時代に入る

 

 

当時のできごと

1955年代から高度経済成長期に入り、1964年には東京オリンピックが開催されました。

 

 

プラスチック食品容器は小売業とともに成長してきました

プラスチック食品容器はセルフサービスの小売業、いわゆるスーパーマーケットと共に成長してきました。 いまからちょうど60年前の1953年に日本で初めてのスーパーマーケットである紀ノ国屋が青山に誕生しました。これは第二次世界大戦からわずか8年後のことでした。 その後、ダイエー、イトーヨーカ堂が誕生しました。

 

1960年代は、高度経済成長期の真っただ中で、1964年の東京オリンピック前後から、大量生産、大量消費の時代に入っています。プラスチック食品容器は衛生的なこと、経済的なこと、作りやすく大量生産ができることなどからスーパーマーケットで使われはじめ、肉や魚のトレーや弁当容器や透明のカップ等が誕生しました。
このころの国内容器市場規模は50億円と言われ、白い発泡トレーが主流で、カップは透明の丸いもの、弁当容器はレンジにかけられないものであり、シンプルなデザインのものが主流でした。

 

 

1970年代

利便性に加えて「安全・安心」も重要な要素に

透明トレーの誕生 1970年頃から肉の裏側の品質も確認できるように、透明トレーが誕生しました。

 

 

セルフサービスの小売業のできごと

1970年 日本初のファミレス「すかいらーく」1号店が国立市に誕生
1972年 ダイエーが売上高で三越を抜き去り、日本一の小売企業になった
1974年 コンビニ「セブンイレブン」が誕生
1978年頃 セブンイレブンでお弁当を販売開始。持ち帰り弁当店誕生

 

 

当時のできごと

1955年代から始まった高度経済成長期が安定成長期に入り、1970年には大阪万博、1972年には札幌冬季オリンピックが開催されました。

 

 

小売業の規模拡大とともに市場規模も大きく拡大

1970年代はスーパーは規模の拡大が進み、1972年には、ダイエーが日本一の小売企業になりました。一方では、1974年にセブンイレブン、78年には、持ち帰り弁当のほっかほっか亭が誕生しています。 余談ですが、日本の外食産業にとって、外食元年と位置づけられているのが、1970年の大阪万博です。同じ1970年には、東京の国立市に、ガストの前身である「すかいらーく1号店」ができ、この頃から外食も一般的になっていきます。

このころの容器の変化と言うと、白い発泡トレーでは「裏側から肉の品質を観察することが出来ない」という記事が雑誌に掲載され、透明なトレーが誕生する等、市場の要望に応える進化をしてきました。 容器の市場規模は10年で約8倍の400億円になっており、このころから容器の役割として、食品の生産者、販売者、消費者の利便性や、「安全・安心」も重要になってきました。

 

 

1980年代

コンビニ店舗数増加とともに、容器の多様化が進む

カラートレーの誕生

コンビニが弁当販売を開始し、1988年にセブンイレブンで初めてレンジでチンできる耐熱弁当容器が使用されました。コンビニはその後、8年で3万店を超えるまでに成長していき、これとともに容器の需要も拡大していきます。また、働く主婦の要望から、持ち帰ってそのまま食卓に並べられる容器として、白いトレーに色や柄をつけたカラートレーが誕生しました。

 

 

セルフサービスの小売業のできごと

1988年 コンビニ1万店突破

 

 

当時のできごと

1984年に日経平均1万円突破、1985年に男女雇用機会均等法制定、そして、1988年に日経平均が3万円を突破しバブル景気へ突入しました。

 

 

新しい食のスタイル「中食」

新しい食のスタイル「中食」

1980年代以前は「食事は家で料理して食べる。(内食)」または、「外で食べる。(外食)」が主流でしたが、「調理済みの弁当や惣菜を買って家で食べる。」いわゆる「中食という言葉も使われ始めました。

 

「中食」のスタイルが拡大した背景には、以下のようなことが考えられます。

 

中食と共に、容器の役割も「肉や魚等素材を入れる容器」から「持ち帰ってそのまま食卓に並べられる容器」や「電子レンジにかけられる容器」や「惣菜が美味しそうにみえる容器」などの開発が進み、機能性が高まりました。 この頃の市場規模は2000億円とも言われています。

 

 

1990年代~現在

大量消費から循環型社会への転換

植物から作られたエコな「ポリ乳酸容器」の誕生

環境問題がクローズアップされ、大量消費から循環型社会への転換がはじまりました。まず、1990年にトレーリサイクルが開始され、環境保全のため塩化ビニル素材に変わりA-PET包装が出回るようになりました。翌年1991年には「再生資源利用促進法」の成立、1995年には「容器包装リサイクル法」公布など、環境に配慮した循環型社会への転換が進みます。

2000年代には、植物由来の地球にやさしいプラスチック食品容器が誕生しました。

 

 

セルフサービスの小売業のできごと

1992年 コンビニ2万店突破
1996年 コンビニ3万店突破
2006年 コンビニ4万店突破
2013年 コンビニ5万店突破

 

 

最も重要な役割は衛生面や安全・安心へ

1990年代に入り、環境問題がクローズアップされるようになりました。大量消費から循環型社会への転換が叫ばれ、プラスチック食品容器業界でも、環境問題、特にゴミ処理問題の拡大を重視し、1990年に発泡トレーのリサイクルが始まりました。行政では1995年に、ゴミ排出量の増大、最終処分場のひっ迫と循環型社会への転換の必要性から、容器包装リサイクル法が公布されました。

 

1980年代後半から1990年代前半には、塩化ビニール素材は燃やすと塩素系のガスが発生し、ダイオキシン発生の可能性も取りざたされ、塩化ビニール素材からPET素材への置き換えもはじまりました。 現在では、プラスチック食品容器には、塩化ビニールは使用されていません。

 

さらなる環境対応商品として、2000年代に入り、100%植物由来のプラスチック食品容器や、一部に植物原料を使った容器等が誕生しました。 このようにプラスチックが普及する前は、数百年も同じ容器が使われていましたが、プラスチック食品容器ができてまだ60年ですが、食品流通形態の変化や消費者のニーズに応え、食品包装容器は大きな進化を遂げており、いまでは、4000億円市場ともいわれるようになりました。

 

また、プラスチック食品容器は、大量生産や経済的等、基本的な役割はもちろんありますが、現在の最も重要な役割は衛生面や安全・安心になっています。